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ほぼくぼ


by 60727
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4月22日


Twitterをフォローしてくれている方はご存知だと思いますが。

先日の金曜日、有休を使って宮城県東松島市へボランティアに行ってきました。

住んでいる自治体の募集を見つけて、
本当はすぐにでも応募しようと思ったのですが、
募集要項に
「何をしたいか、ではなく何が必要とされているか」
と書かれていて、正直悩みました。
自分が行こうとしているのはただの自己満足にならないか、
私は本当に現地に必要とされているのか...と。
それをTwitterでつぶやいた所、様々な人から意見をもらって、
やっと勇気が出て応募しました。

木曜の午後10時、総勢30人で区役所を出発。
夜通し走って、午前5時過ぎに宮城に入りました。
外は曇りで、パラパラと小雨も降り、とても寒かったです。
東松島市へ向かう途中、野蒜地区という場所を通ってもらったのだけど、
そこは、たぶん、遺体を収容しただけで、ほぼ手つかずの場所でした。

避難所の小学校は2階まで津波の痕が残ってて、
そこの体育館に避難した人は全滅だった、と聞かされました。

そんな場所を、他のボランティアの人は写真を撮っていたのだけど、
私は目で見るだけで精一杯で、とてもカメラを向ける事は出来ませんでした。

木の枝に泥まみれの布団が引っかかったまま。
どこもかしこも瓦礫だらけ。
中身の無い郵便局の建物。
どこからか流れてきたお寺。
14時46分で止まっている野蒜駅の時計。
この場所がもともとどんな町並みだったのか、
想像できるものは何もありませんでした。

そして何より、この場所に人の気配がなかったことがどういうことなのか。

テレビで流れる映像よりも辛い現実がそこにはありました。

この仙石線野蒜駅周辺はこれから米軍のTOMODACHI作戦で
線路の復旧が行われるそうです。

そして、まず東松島市のボランティアセンターに寄り、
私たちが向かう、陸前赤井駅の前にあるJAに着きました。
そこから4班に分かれて、ボランティア申請をされているお宅へと向かいました。
一番わかりやすいから、と電車が走らない線路の上を歩き、
一見何の損傷も無い住宅街へ入っていくと、
道ばたに泥だらけの家財が至る所に出されていました。
どこも家の1階部分は浸水してしまい、家財のほとんどが津波によって
使用できなくなってしまったからです。
布団やテレビ、ソファーや本など本当に色んなものがゴミとなって出ていました。

私が午前中行った所は、ご高齢のご夫婦が住む家の庭の泥出し。
庭には、真っ黒いヘドロが約20センチほど積もり、それをひたすら
スコップですくい、土嚢袋に入れて表の通りまで運ぶという作業です。
海水にまざって、石油やガソリン、中には、子供のおもちゃ、携帯の充電器、割れたガラス、砕けた家具、様々なものを運んできたヘドロは
匂いもキツく、重く、土嚢袋を持ち上げるだけでも大変な作業です。

時間も2時間と限られているので、泥だらけになりながらなんとか終わりました。

昼休憩は、JAの裏手にある葬儀場の玄関で。
小雨がぱらついていたので、屋根があるだけで嬉しい。
休憩中も地震があり、とても寒かったので皆あまり休めなかったけど、
グループそれぞれ午後に配置されたお宅へと向かいました。

午後は自宅でエステサロンを営む方の所へ。
自宅の隣の空き店舗が全くの手つかずなので、泥を出すのと
駐車場に積もったヘドロをかき出す作業。

手つかずの店舗は、扉を開けるとまだ全然乾いていない
ドロドロのヘドロが、15~20センチほど溜まっていました。
ふと壁を見ると、私の目の高さに津波の痕。
「私死ぬな・・・」とゾッとさせられました。
ドロドロのヘドロは家から出すのは楽だけど、それは運んでも運んでもなくならない。
そのうち、横の駐車場にも流れ出て、そこに積もってたヘドロといっしょになって
足がとられて身動きが取れない最悪な状態になってしまって。
油も混ざってるから、普通の泥より粘ばりけがあって、本当に大変でした。
なんとか他のチームの助けもあって、時間内に終わらせる事は出来たけど、
最後の方は腕も上がらないほど疲れてしまいました。

ちょっとだけそこの家の人と話す機会があったのですが、
もう4月いっぱいで自衛隊もこの地区から撤退してしまうし、
ヘドロなんてみんな嫌がる作業だから、ボランティアの人が来てくれて
本当に助かります、と言われて、初めて来て良かったと思えました。
生活するにも、何をするにも、ヘドロがなくならないと、前へ進めないのです。
そのお宅も1階部分は浸水してしまったので、畳は全てはいでしまっていて、
店の商品(化粧品)も泥だらけだから、と
おばあちゃんやお手伝いの人と、手作業で洗って消毒して・・・と。
家の窓を見ると、ご先祖様の写真が大切そうに乾かしてありました。

周りを見わたすと、ここも家自体はきちんと建っているのに、
車は泥だらけでほぼ廃車。
空き地にはどこからか洗濯機が流れてきて横たわってる。
アパートの1階の部屋は窓も無く中も無く・・・
でもここはまだ被害が少ない方だと言っていました。

東松島のもっと海寄りはまだ立ち入り禁止らしく、向かう事が出来ません。

1日の作業が終わり、バスに乗って帰路につきました。


午前中に行ったお宅の庭にはヘドロの中からも水仙の花が咲いていました。
陸前赤井駅前には、立派な桜が咲いていました。
みかけた小中学生は、みんな元気に学校へ向かっていました。
途中出会ったおばあちゃんはキツい訛りで何度もありがとうと言ってくれました。
ほかのボランティアの方は、ご苦労様ですと声をかけてくれました。

でも、これが震災から1ヶ月経った現状で、まだまだ全然先は見えません。

私たちの作業が2時間と決められていたのも、ボランティア待ちを
されている方がまだまだたくさんいて、とても手が回らないからです。

違うグループの人が行った家の方の話。
津波が来たとき、自分は車で逃げていたのだけど、すぐそばまで波が来ているのが見えて、なんとか外にいた人に扉を開けてもらって走って逃げたけど、
自分の後ろにいた人たちは、波にのまれてしまって。
その時のその人たちの声が離れないと・・・


私たちが向こうに行って、出来る事は泥を運ぶ事でも何でも良い。
1日でも早く、少しでもその人たちが生活を取り戻していける手助けを出来たら。
というか、しにいかなければ。
私は正直、募金をするお金はあまりありません!
金がなければ、動ける私が行けばいいじゃない、ということで。

5月にもう一度、祝日の代休を使っていこうと思ってます。

しかし昨日一日は頭の先から足先まで全部痛くて動けませんでした。
ひたすらスコップですくう作業。背中とか腰とか足とか肩とかやばい。
んで足に湿布を貼るとかぶれるという・・・
鍛え直そう。5月に行くまでにはもうちょっと・・・


そんなクボはただ今BIGBANGに激烈にハマり中です。
こちらもTwitter上では祭りのごとくつぶやいております。
わたしは平和にやっております。
V.Iかっこいぃ~
# by 60727 | 2011-05-01 01:46